2013.03.17 Sunday
サトウ八ロー没後四十年の原稿を
サトウ先生が亡くなられて四十年。房枝夫人と
運営していたハチロー記念館も夫人の逝去と共に
なくなり、ハチロー先生の創設された木曜手帖も
インターネット木曜手帖に姿を変え、過ぎた歳月に
起こった様々を、感慨深く思い出す日々です。
サトウハチロー没後四十年の原稿を
宮中雲子
サトウハチローと
名前の入った原稿用紙
艶のある厚地の紙
オレンジ色の横長の罫
二万枚 頼めと言われ
えっ!と驚くわたしに
「ボクが死んだら おまえさんが使えばいい」
そんなことになろうとは
思いもかけなかったが
原稿用紙製作から二年で
サトウ先生は亡くなられ
ずっしり残された原稿用紙
サトウハチローという文字を
二本の縦線で消して
気のおけない提出先に
使わせてもらってきた
今年は没後四十年
残り少なくはなったが
原稿用紙は まだまだある
まさか 没後四十年の原稿を
この原稿用紙で書くことになろうとは…