町に女学校が出来ると、母は父母の反対を押し切って、二人の妹を女学校へ通わせ、その妹たちは女学校から師範学校へ進み、二人とも小学校の先生になりました。
やっと家から解放された母は、四国を出て、九州医大付属の看護学校で学ぶことが出来たのです。
そこで母は、医学生だった父と結ばれました。
迎えに行くから実家で出産するようにという父の言葉を信じて、四国の実家で出産したものの、父の方の家庭の事情で結婚は出来ませんでした。
その頃、母のすぐ上の姉は、男の子がいる再婚の人と結婚して東京に住んでいました。
私はその伯母夫妻の実子として入籍され、おにいちゃんが出来たのです。おにいちゃんも私も、伯母をおかあさんと呼んで一緒に暮らしていました。
それは、母が四国の故郷に職を得て、暮らしが安定するまで続きました。
私が小学校に入る少し前、伯母は言いました。
「これからは、信子おばちゃんをおかあさんと呼ぶのよ」
そうして、私は四国へ行ったのでした。
中学へ進学したものの、満足できなかった私は、おにいちゃんに迎えに来てもらい、東京の中学で3年間を過ごしました。ここで素晴らしい先生や友人と出会うことが出来たのです。
7月17日の早朝、突然おにいちゃんは帰らぬ人となりました。
おにいちゃん
宮中雲子
一緒に遊んでいて
ふっと姿を消し
私を不安がらせた おにいちゃん
うまくかくれていて
“うわっ!”と顔を出し
私を驚かせた おにいちゃん
いつだって すぐに出てきて
私を嬉しがらせたのに
もう 柩の中で目を閉じたままの おにいちゃん
年を重ねるにつれ
おにいちゃんは 兄さん 兄貴と
呼びかたは変わってきたけれど
今 柩の中に収まっているのは おにいちゃん
たった一人の おにいちゃん
また なにかいたずらを考えて
仕掛けてきそうな おにいちゃん